実家のペットを看取った話

実家の犬を看取った話


身バレするのを覚悟の上で、今後の自分のために話を書こうと思います。


タイトル通り暗い話かつ、すこしグロテスクな内容も含まれますので、苦手な方はご注意ください。


1111日(日)に実家の犬を看取りまして、16年もの長い付き合いになる犬であったこと、自分が想像以上にショックを受けていて暫く完全には立ち直れなさそうなこと、などといったことから、このなんとも言えないこの気持ちを1ミリ足りとも忘れたくなくて、自分の中で少しずつ飲み込んで消化するための儀式のようなものとしてはてブに書こうと思い立ちました。

今も書きながら、嗚咽混じりに涙を拭いながら、纏まらない思考を書き起こしていますので、非常に拙い文章だと思うのですが、よければお付き合いいただけると幸いですし、実家の犬も報われるかと思います。

本当は消化しきった後に、書くのが良いんだと思うのですが(人によっては死後すぐにこういう事を書くのは不謹慎とお考えになる方もおられるかもしれません)、それではリアルな気持ちが綴れないなと思ったので、将来自分が読み返して、犬のことをいつでも鮮明に思い出せるように今、書くことにしました。


正直、めちゃくちゃ長くなるので、分割投稿すると思いますし、ぶっちゃけ読まなくていいです。私のための文章です。


ここから本編です。


「犬の調子が昨日くらいから悪い。今晩持つかわからん」と母からLINEで連絡を受けたのは金曜日の夕方でした。


実家の犬は私が小学校低学年のときに飼い始めた犬でした。

2年前に亡くなった祖父が、健康のために散歩に付き添ってくれる犬がほしいと言いだしたのがきっかけだったように思います。

そのため、力が強すぎない中型犬のコーギーのメスである生まれて数ヶ月の犬を迎えることになりました。

離乳食を食べていた頃からすくすくと成長し、数々のイタズラや脱走劇を繰り返しつつわんぱくに育ち、外で番犬として飼うようになりました。

時には怪我や病気による手術をしたりしたけど、病弱というわけではなく、元気と食い意地だけが取り柄で、でもそんなちょっとバカっぽいアホの子な感じが

私たち家族をいつも楽しませてくれていました。

そんな犬も、もうヨボヨボのおばあちゃんになり、数年前に、何の因果か祖父と父(健在)がかかった心臓の病にかかっていることがわかりました。その病気は緊急を要するものではないですが、手術をしないと少しずつ身体を蝕んでいくタイプのものでした。しかしその時にもう老犬であることから、犬にとって辛く苦しいかもしれないけれど、体への負担も考慮して、心臓の手術はせず、流れに身を任せようということになりました。

それでも、正月やお盆に帰省すると、たしかに耳は遠くなったし、寝てることも増えて走ることも少なくなって体力も落ちてきたけど、持病があるとは思えないほど食い気があって元気な姿を見せてくれていました。もちろん今年の夏も。

しかしやはり、限界が来るのは、本当に突然なんだと、今は思います。正直、よく堪えてくれたね、頑張ったね、ありがとうね、という気持ちでいっぱいです。



金曜日の夕方、「散歩も行けないし、ご飯も食べない。もうダメかも」と言われ、「病院には連れて行ったの?」と返信したきり母から連絡がなかったこと、次の日午前中から夜まで予定があったことから、実家に帰れずにいました。

今思うと、ご飯が大好きで年老いても食い意地だけは張っていた犬が、ご飯が食べれない、と聞いた時点で、予定があっても帰るべきだったなあと少し後悔しています。


土曜の昼、母から連絡がありました。どうやら、金曜の夜救急で病院に連れて行き、一晩検査と治療のため入院して、帰ったきたようでした。検査の結果、腎臓が機能していないことが発覚し、あと12日の命だ、ということでした。

その連絡を受け、日曜は予定もないし、帰るしかないと思って、土曜にバイトを終わらせて、実家に帰ることにしました。こういう時、比較的フランクに帰省できる距離で良かったなと感じます。


帰りの電車で、すこしづつ覚悟を決めていました。もう老犬であったし、夏にも元号が変わるまでは生きられるかねえ、とか、亡くなった後は火葬してもらおう、とか、次の犬は飼わないことにしている、とか、親や兄と話をしていたので、しかたないことだな、と犬の死期を受け入れていました。

駅から自宅に向かう途中の車では、父から犬の現状について話を聞きました。

それは自分が想像したよりも酷いものでした。


だんだんと散歩がしんどくなっていたようなのですが、今週に入り、足を引きずるような様子を見せるようになり、ついには散歩に行きたがらなくなったようでした。金曜の朝にはご飯を食べなくなり、大好きなおやつのジャーキーはかろうじて食べたようです。


そして金曜の夕方、母は仕事から帰ると、犬を風呂に入れることを前々から決めていたようで、眠っている犬を抱えて風呂に入れてやったのだそうです。その時、汚れがちなお尻を洗おうとしたら、尻尾のちょうど上のあたりに怪我のようなものが見られ、そこから蛆がわいていたのだと言います。そこを丁寧に洗って蛆を流してやったのですが、風呂を終えて、犬を乾かしていると左の後ろ足の付け根あたりも、同じように蛆にやられているのを見つけ、「もうダメかもしれない」と思ったといいます。


病院では血液検査を行い、そして蛆をできる限り取り除いてもらいました。蛆は相当な数いたようで、それをピンセットでひとつひとつ取り除いてくれた担当医の先生には本当に感謝でいっぱいです。

血液検査から、腎臓と肝臓が機能していないことが発覚し、入院中は、ストレスもあったのだと思います、下痢や嘔吐もするようになったようでした。


家に着き、話の衝撃を受け入れられないまま、犬と会うことにしました。犬は、蛆の影響で独特の腐敗臭のような匂いがするため、すこし隔離された室内で、毛布を被せられて寝かせられていました。明かりがついたり、声が聞こえたりすると、返事をしているのか、身体が痛いからなのかはわかりませんが、前足をバタバタと動かしていました。鳴くことも、起き上がることもできないけれど、苦しそうに息をしながら、バタバタと前足や時々後ろ足を動かしつつ、耳が時折ピクピクしていて、生きていることを実感できました。数ヶ月前に元気に歩いていた姿からは全然想像つかない状態であったけれど、生きているところに間に合った安堵と、いつ死んでしまうかわからない恐怖と、辛く苦しいだろう状態をどうすることもできない無力感で涙が止まりませんでした。

水を無理矢理飲ませると、口をパクパクさせて水を飲んでくれて、まだ生きようとしてくれて、嬉しさと安堵が込み上げてきました。

けれど、その時に近くで防災訓練のサイレンが鳴ったんですが、昔はそれに呼応して遠吠えしてたのが、今はもうほとんど反応しなくて、悲しくなりました。

この時点で情緒がガバガバです。


その後は、自分も夕食を食べたり、お風呂に入ったりして、普段通りを装って過ごしました。寝る前にはもう一度見に行って、お水をあげて、おやすみって、また明日ねって声かけて布団に入りました。

布団に入ると、もうダメでした。今までのこととか、今のこととか、考えてしまって、こんなに嗚咽混じりに泣いたの久々でした。だって、私の人生の8割は犬と共にあって、残りの2割なんて、物心もちゃんとついてなくて記憶なんてほとんどない時で、振り返ってみると、犬がいない時の記憶の方が少なくて、それなのに、もうすぐお別れが迫ってるなんて考えられないじゃないですか。寝て、起きたら、もう動いてないんじゃないかって、そんなことばかり考えてしまって

鼻水が詰まって息ができないくらい泣きました。そして、泣き疲れて寝たのだと思います。


次の日、朝起きて、様子を見に行くと、まだ息があって、昨日と同じように、前足をバタバタさせてました。母と朝一番の挨拶が「まだ生きてるよ」だったことが、今でも胸に残っています。犬におはようって声かけて、よく寝れた?って頭をなでて、その体温に安心して、少し息が苦しそうだったのを見て、また泣きました。大好きなご飯が食べられない分、時間稼ぎするみたいにお水をあげたりしました。

「まだこれだけ動けるから、あんたが帰って、明日までは持つかな」と両親は言っていました。月曜からは大学があるので、戻らなくてはならず、死に目には会えないかもなぁと、漠然と思っていました。


午前中には、下痢の処理を親がしていて、汚れたタオルや毛布を洗うのを手伝いました。その時ウェットティッシュで身体を拭いてやったそうなのですが、傷口からはまだ、蛆が出てきたようで、取り除いてやったと言います。傷口はしっかり見てないですが、遠くから少し見えて、本当に痛々しくて、どうしようもできないことが申し訳なくてしょうがなかったです。でもきっと、私なんかよりも、ずっとそばにいた親や兄の方が、その気持ちは強かったんじゃないかと思います。

「穴が結構深い」と母が言うものですから、「蛆って結構大きい?多い?」と現状を知りたくて聞いたんですが、「あんたは見ないほうがいいわ。堪えれんと思う」と言われて、見るのはやめました。もう20代前半ですが、家族の中では、まだまだ未熟で守られているなと感じた瞬間でした。犬は私にとって、ある種妹のような存在でもありましたから、何もしてやれないことが本当に悲しいばかりです。


そして、様子が落ち着いて、まだ前足をバタバタさせながら、頑張って息をしていたものですから、親と買い物に出かけました。

その時に、犬が死んでしまったら、市の火葬場に持っていくから、遺体を入れる箱を探そうということになりました。はじめはスーパーの持ち帰り自由の箱を見ていたんですが、かわいそうだし、犬の長さに合うものがないし(コーギーなので胴が長いのです)、ホームセンターで買うことにしました。兄はいなかったので、親と三人で、これなら入るかねえなんていいながら一箱ダンボール箱を買いました。


家に帰って、犬がいるところに、箱を組み立てて置いておくことにしました。その時もまだ、息をしていて、寝息が聞こえるくらいしっかりと息をしていて

時折、ピクピクと足を動かしていました。その時には、半ば痙攣のような動きになっていて、「動き方が変わったね」と親と話していました。

ただいま、なんて言って、頭をなでて、水をやって、水を飲むことに安堵して、また来るねって、部屋をあとにしました。


兄とも「まだ生きとるやろ、さっき水あげたら飲んだわ」「そうね」なんて会話をして。夜あまり寝れなかったのか、眠くなったので、ソファでうたた寝していました。うたた寝しながら、母が「そういえば毛布。寒くなってきたしかけたげんと」と言っていたのを聞きました。下痢の処理をした時に洗った毛布を犬のところに持っていったようでした。


そこで少しうたた寝をしていたら、父に名前を呼ばれ起こされました。母は兄を呼んでいるようでした。「さっき毛布持っていったら、動かんくなっとった」と言われました。一瞬何を言われたのかわからなくて、思わず「足が?」と聞き返したのです。すると父は、「もう、息もしとらんみたい」と優しく教えてくれました。


見にいくと、犬は本当に息をしていませんでした。前足がピクピクしないことを確認して、お腹が上下してないことを確認して、苦しそうな息が聞こえないことを確認して。母が犬の名前を呼んでも、動かないことを確認して。家族で、いきをしてないことを確認して。

触るとまだ柔らかくて、温かくて、まるでただ静かに寝ているかのようで、息を引き取ってからそんなに立っていないことがわかりました。先ほど見にきてから、一時間も立っていなかったと思います。約18時ごろに、静かに息を引き取ったのだと思います。


今までは、私以外だれも涙を見せていなかったのですが、その時は母も、兄も、そして父も、涙ぐんでいるようでした。その時になってやっと、家族みんなが堪えていたんだと気付きました。うちの家族は、母は比較的涙脆いですが、父や兄は特にドライな性格なので、泣かないものと思っていたのですが、その姿を見て、みんなが、犬を本当に大事に思って、家族の一員だって考えていたんだなと、ようやく知ることができたのでした。


そのあとは買ってきた箱に、みんなで入れてあげて、毛布をかけてやりました。ようがんばったね、つらかったね、たくさんおやすみね、なんて声をかけていたと思います。

母が涙目のまま、「お花、買ってくるわ」と言って、近所のスーパーに車を走らせていきました。残った三人で、ろうそくと線香を立ててやりました。小さな小さなお通夜でした。


母が買ってきた花は、とても色鮮やかなものばかりでした。きっと、女の子だった犬を最期くらいは可愛くしてあげようと考えたのだと思います。切った花を、みんなで手向けました。本当のお葬式みたいに、簡単なものだけど、たくさんのお花を入れてやりました。


そのあとは夕食を食べました。いつもと変わらない様子で、鍋を食べていましたが、犬のことばかり話していました。思ったよりも急にきたね、とか、もうおばあちゃんだったもんね、とか、病院の先生の言ってたことはあっとった、とか。


夕食後、母に言われて、ジップロックに犬の餌を入れました。いつもあげている一回分をちょうど。「あんたが箱に入れてあげて」と言って、私に入れさせてくれました。犬が大好きだったご飯。本当に最後の最後まで、どんな時でもご飯だけは食べていて。私なんかとは比べ物にならない回数、犬にご飯をあげていたのは母だと思うのですが、私に入れさせてくれたのです。私は口元のあたりにそれを入れて、「大好きなご飯、入れとくでね、最期は食べれんかったけど、向こうで食べてね」といって頭を撫でてやりました。その時にはもう死後硬直が始まっていて、冷たくなっていました。夕飯の前までは温かかったのに、まるで剥製のようになっていました。

実家を出る時間が迫っていましたが、母は「私は戻るけど、もう少しおってもいいよ」と言ってくれました。それに甘えて一人、犬の頭を撫でながら、辛かったね、苦しかったね、頑張ってくれてありがとうね、最期に会えてよかったよ、今まで長いこと一緒にいてくれてありがとうね、むこうのおじいちゃんとおばあちゃんのことよろしくね、なんて声をかけながらボロボロに泣きました。もう行かなきゃとおもっても、別れが本当に惜しくて、何度か戻って頭を撫でました。さみしいよ、なんて、声もかけました。

でも、時間は限られてるので、決心して、犬のもとを離れました。ありがとね、おやすみね、ばいばいって声かけて。


両親に駅に送ってもらいました。家を出る前に、母は兄にジップロックを渡しながら、「明日までにあんたの好きなだけジャーキー入れて、箱に入れたげて。好きな場所でいいから」と声をかけていました。ジャーキーも、犬は大好きでした。送ってもらう道中では、母が、「明日火葬場に行く時に、車で散歩コース回ってから行くわ」と言っていました。明日、仕事がないのは母だけでした。最期のさいごに、大好きな母と、大好きな散歩ができることを、私は嬉しく思いましたが、その楽しく、悲しい時間を、共有できないこと、母に背負わせてしまうことを思い、また泣きました。

駅で車を降りる前に、母にありがとうと言われました。犬も喜んどるわ、と。私は泣くのを堪えながら、こっちこそ、来れて良かった、あとはよろしく、と答えました。

実際、前の週でも、次の週でも、なんだったら数日ずれただけでも、私は犬の最後を見届けられなかったし、家族だけで行われた、小さなお通夜やお葬式も参加できませんでした。最期に触れることだって声をかけることだってできなかったはずです。そう思うと、犬なりの最後の甘えただったのかもしれません。


電車での帰り、twitterで少し、暗いツイートをしたのです。そしたらフォロワーさんたちが心配のリプライを送ってくれました。簡単に事情を説明したら、一緒に悲しんでくれて、それを見て、また泣きました。フォロワーさんがた、ありがとうございました。その優しさが嬉しかったです。


下宿先について、母に着いたことを報告しました。あとはよろしくね、とも。母からは、あなたに世話してもらって、最期に家族みんなの顔を見れて、犬も嬉しかったと思う、楽しかった思いだを大切にしようね、と返事がありました。それを見たら、声を上げて泣きました。もはやなんで涙が出てくるのかなんてわからなくて、なんなら今でもわからないけど、涙が止まりませんでした。母には、写真整理しなきゃ、落ち着いたらアルバム作りたいね、なんて気丈な返事を打ちながら、子供みたいに泣きじゃくりました。


次の日、平静を装って、普段通り大学に行きましたが、母からの報告をいつも気にしていました。考え事をしていると、知らぬ間に犬のことを考え出して泣きそうになるので、トイレに行ったり、目薬をさしたりして誤魔化していました。

そしてお昼頃、どうにも気になってしかたなかったので、報告するほどのことでもないことを母に報告しました。すると、お気に入りの散歩コース3つ走って、天国に行きました、と返事がありました。それを見て、トイレに駆け込んで泣きました。死ぬ間際にはできなかった大好きだった散歩を、好きなだけできて、本当によかったなと思います。


大好きな、人生の相棒とも呼べる犬の最期を看取ることが出来たこと、本当に幸せなことだと思います。世の中にはきっと、立ち会えなかった人も多いでしょう。運が良かったのか、犬がそうしてくれたのかはわかりませんが、貴重な経験ができたと、感じています。


また、自分の家族が、こんなに優しい人たちばかりで良かったなと思います。犬のために、こんなに考えて、やれることをしてあげようとする人たちで、良かったなと思います。


一緒に住んでいた祖父母を亡くした時と比にならないくらい悲しんでいて、自分でもすこし驚いています。その理由は今もわからないし、これからもわからない気がします。命に優劣があるわけではないですが、まるで自分の半身を失ったように考えているのかもしれません。


犬がいない日々は、まだしばらく辛いものになりそうです。離れている私でこれなのだから、実家にいる三人はより如実に、この空虚な感覚を味わっていることと思います。今まで行っていた散歩や餌やりといった習慣が急になくなるのですから。まだ、犬小屋も餌の残りもそこにあるのですから。かくいう私は、年末に再び帰省した時に、きっとまた、泣くでしょう。実家に帰っても、今までのように、目をらんらんと輝かせて、甘えてきてくれる犬は、もういません。


世間はペットの死に対して悲しむことを、あまりよしとしない風潮があるように感じます。ペットごときで、までとは言わないまでも、それに近しいような。今の状態で、それを言われると、自分をコントロールできる気がしないので、犬を看取ったことは、リプをくれたフォロワーさんがた以外、誰にも話さずにいます。自分が、犬の死を体験した今、もっと世の中が優しく寛大になればいいのになぁ、なんて考えています。


ここまで、お付き合いくださっている人はいるんでしょうか、わかりませんが、いらっしゃったら、感謝申し上げます。

読んでもらってわかるように、全然気持ちの整理はついていないし、泣いてしかいないし、言語化できていません。自分のために書くと言いつつ、自分のためになっているのかすら、もはやわかりません。でも、なにか、文章で残したいと思ったのです。その衝動にお付き合いくださってありがとうございます。犬も報われます。


最後に、元気だった夏の時の犬の写真を載せておきます。今までありがとうね。

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